中国国歌・義勇軍行進曲
中国国歌の名称は「義勇軍行進曲」といいます。作曲者は雲南省昆明出身の聶耳(ニエアル・1912-1935)、「立て!奴隷となるな人民、我等の血で築こう万里の長城・・・」という勇ましい詞を書いた作詞者は上海の劇作家田漢。
もともとは田漢がシナリオを書いた映画「風雲の子女」の主題歌として依頼されたものでした。当時は1931年の柳条湖事件(満州事変)勃発以来、中国国内は日本、国民党、共産党の三つ巴の争いになっており、蒋介石の国民党に追われていたのが進歩的知識人の田漢でした。
1934年に田漢が逮捕され、そのころ「義勇軍行進曲」の作曲を手がけていた聶耳の身辺にも国民党の影が忍び寄ってきます。1935年聶耳は身の安全のために日本に亡命します。
東京で「義勇軍行進曲」は完成され、すぐさま上海に楽譜が届けられると、たちまちのうちに中国人民の心を捉え、抗日戦争を戦う人々の応援歌になります。
1935年7月18日、神奈川県の藤沢市内の日本人家庭に居候していた聶耳は江ノ島近くの鵠沼海岸で遊泳中に土用波に飲まれて溺死してしまいます。遺体は翌日発見されました。
遺骨は1937年に聶耳の友人の留学生たちが昆明に持ち帰り、西山美人峰に埋葬されています。
聶耳終焉の地となってしまった藤沢市の鵠沼海岸には1954年に聶耳記念碑が建立されています。命日の7月17日には慰霊祭も行われているようです。
| 歌詞 | 意味 |
| 起来,不要做奴隷的人們,把我們的血肉,築成我們新的長城。 中華民族到了最危険的時候,毎个人被迫著発出最後的咆哮, 起来,起来,起来,我們万衆一心,冒著敵人的炮火,前進, 冒著敵人的炮火,前進!前進!前進!進! |
起て!奴隷となることを望まぬ人びとよ!
我らが血肉で築こう新たな長城を! 中華民族に最大の危機せまる、 一人びとりが最後の雄叫びをあげる時だ。 起て!起て!起て! もろびと心を一つに、 敵の砲火をついて進め! 敵の砲火をついて進め! 進め!進め!進め! |