中国文物真贋道中膝栗毛 犬飼和雄
十三、?金神獣文温酒器
テーブルの上におかれていたそれを目にとめた瞬間、私は信じられなくて
「これは」 とうめいた。
うめいてから、もう一度目をこらした。
それが目の前に存在することがあるなど考えたこともなかった。私にとってそれは、あくまでも美術書の中だけのことだったからだ。 「これは」
と私はくりかえして、テーブルのむこうにすわっている保坂さんに目をやった。
「いやあ、すみません。片付けようとしていたところです」
と保坂さんが全く的はずれの弁解をした。
「片付けるですって、それはどうしてです」
「ごらんになられたからわかるでしょう。こんなかさぶたの緑青だらけのもの、どうしたって売りものにならないし、だからといって、この緑青をけずりとったら、それこそ表面はぼろぼろ、やはり売りものにならないからですよ」
「とんでもない、これはですね」
と私はかがんで顔をよせ、じっと目をこらした。
まちがいなかった。
それは『中国文物精華大辞典・青銅器』で見た、「?金温酒樽」そっくりだった。かさぶた緑青があるだけ写真のものより文物的だった。
私がそのことを保坂さんにいおうとすると、たまたま一緒で、私のかたわらでそれを見ていた佳川文乃緒が悲鳴をあげた。
「先生、そんなに顔を近づけられた毒にあたりますよ。すぐにうがいをされてきた方がいいですよ」
私は佳川の忠告どころではなかった。興奮して、そのずっしりと重厚な緑青を両手ではさんでだきあげた。
「先生は」
と佳川がいった。
「緑青が有毒だということをご存知ないのですか。保坂さん、こんなものはどこかにしまってくださいよ」
「そうしますか」
と保坂さんは佳川に同調した。
私は二人になどかまっていられなかった。じっとそれに目をそそぎながら流金金温酒樽とそれを比較しはじめていた。
?金温酒樽というのは、円筒形の温酒器で、たしか円筒の直径と高さがどちらも二十五センチあまり、青銅に渡金したもので、その表面には動物が、牛や羊や猿や熊や駱駝などが浮彫され、その三本の足は熊にかたどられていた。緑青はどこにも見られず、漢代のものとしるされていた。私がそれをこのようにおぼえていたのは、それまでこのような温酒器を見たこともないほどめずらしいものだったからで、したがってそれに類する現物が目の前にあらわれるなど考えたこともなかった。
それが、今私の両手の中にあった。しかも私の両手の中のものは、平凡な動物文ではなかった。
その文様は、緑青に首をくいちぎられたり、腹に穴をあけられたりしていたが、虎であり鳳凰であった。
私はもう手からはなしたくなかったので、咳込みながら保坂さんにいった。
「しまうなんてとんでもないですよ。私が買います」
佳川が黙ってはいられないというようにいった。
「これは毒のかたまりですよ。そんなものをお買いになるのですか。これを買うということは有毒の緑青を買うということですよ。わかっていらっしゃるのですか。私なら保坂さんがただでくれるといってもことわります」
「なんならその緑青をけづりとりましょうか」
と保坂さんが佳川のことばをきいていった。
「とんでもないですよ。私の買いたいのは緑青です」
と私はあわてて保坂さんのことばをうち消した
。
「なんのために緑青などをお買いになるのです。緑青を買う人がいるなどきいたこともありません」
と佳川はあきれたようにいった。佳川には緑青しか目に入っていないようだった。いくら緑青の価値を佳川に説明しても時間の浪費だと気づいたので、私は保坂さんにいった。
「これはいくらです」
「一万円ではどうですか」
「えっ、この緑青が一万円ですか」
と私は、侮辱、といっても私がではなく、緑青が安っぽく侮辱されたので、思わず声を荒げた。
「そうです。緑青が一万円ですなんて」
と佳川が怒ったようにいった。佳川がなにもわかっていないのは当然として、保坂さんまでわかっていなかった。
「それなら八千円でいいですよ」
「八千円ですか」
と私がげんなりしていると、そんな私のげんなりに保坂さんが追い討ちをかけた。
「まだ高いですか。それなら先生のいわれる値段でいいですよ」
「先生はいくらでお買いになりたいのです」
と佳川が口をはさんだ。
「こんな緑青をいくらでお買いになるか知りたいものでわ」
私がその値段をいったら、佳川とまたひと悶着だし、それに安いにこしたことはなかった。
私は急いで、ポケットから一万円札を取りだして保坂さんに渡した。保坂さんは二千円のお釣を払おうとした。一万円で買っても保坂さんをだましているようでうしろめたいのに、その上、二千円までだましとるこてゃできないので、二千円は保坂さんに押しかえした。
それを見て、佳川がいった。
「そんなものに一万円もだされるのですか、またどうしてです」
もうこれは保坂さんの手をはなれて私のものとなったので、私は本音をはいてもさしつかえないと思ったので、佳川にいった。
「佳川さんにはわからないでしょうが、これはひょっとするとひょっとするになるのです。そうなったら、もう一万円どころではないのですよ」
「ではいくらになるのです」
「そのなん十倍、いや、なん百倍にもなるかもしれないのです。私が保坂さんでしたら、いくら安くても、五倍、六倍の値段をつけます」
「先生は生活がかかってないからそんな値段をつけられるのです。私がそんな値段ばかりつけていたら、棺桶を用意しなければならなくなります」
と保坂さんが苦笑した。
「でもですね、それだけの価値があるかもしれませんよ」
「どうしてです」
「まずこの緑青です。これはまちがいなく本物です。しかもですね、これほどかさぶたになるには長い年月が、二千年ぐらいは、ともかく長い年月がかかっているのはたしかです。この緑青を頭に入れて、この文様を見ると、私なりに一つの答が、求められるのです。
私は前に中国文物の写真集を見たことがあるのですが、その中で、漢代のものだという?金温酒樽というものが目にとまりました。今まで見たこともないめずらしいものだったからです。円筒形の温酒器で、高さが二十五あまり、円筒の直径も二十五センチあまりで青銅に渡金したもので、上部の中央にまるい蓋がついていました。そのようなものが、今日の今日まで私の手の中に入ってこようと思ってもみませんでした」
「そういうものですか。でもこの緑青ではなんともいえないでしょう」
と保坂さんがあらためて私の温酒器をのぞきこんだが、別に安く売って残念だという顔をしていなかった。
私は少しいきごんで説明をつずけた。
「これはですね、写真のものよりひとまわり小さいのですが、すごいのはこの文様ですよ。ここに浮彫されているのは、虎、そしれこれは鳳凰、そして三本の足は怪獣です。それよりなにより、円筒の前後に、殷の時代にさかんに描かれた悪魔払いの怪獣、目をむいた怪獣、●餐が浮彫にされています。明らかにこれは怪獣文になっているのです。つまりですね、私の温酒器の方が、はるかに中国の古代です。そう思いませんか」
「でも、緑青のかたまりですよ。わかりません」
と佳川がうんざりしたようにいった。
「なにがわからないのです」
「先生のことがですよ。そんなものを大事そうにかかえて、そんなふうに熱心になっていられる先生のことがです」
「私のことなど今はどちらでもいいのです」
と私はいい、佳川など相手にしているとかんじんのことがぬけてしまう、というより、私の温酒器がかんじんのことをしゃべらなければだめじゃないかと私にいっているので、私は保坂さんにむかって説明をつずけた。
「それにですね、この緑青の間に金色にかがやいているこの地肌は金のように見えます。もしこれが金なら、にせものを作るのに本物の金など使用するはずがないので、これは正真正銘の文物だということになります」
「これが本物の金だというのですか。金にこんな緑青がふきだしたりはしないでしょう。どう考えても、金の渡金されたものが私の店になんぞまぎれこんだりはしませんよ。それにそんな風格のある神獣文温酒器なら、それこそにせものが作られるでしょう。先生のように考えられて買う人が多いからです」
と保坂さんは皮肉るようにいった。
「でも、この地肌の金色のものが本物の金だったらどうされます」
「どうされるといっても、それはもう私のものではないのですからね」
と保坂さんは肩をすくめた。
「ともかくですね、私がこの店で手に入れたものの中で、これは一、二をあらそう逸品です。これこそ掘りだしものです」
「だいたいこのお店にこんな掘りだしものなどありませんね」
と佳川が保坂さんに同意を求めた。
「そうですよ」
と保坂さんはうなづいた。
私はその時、佳川が首にかけている金のネックレスに気がついた。
「佳川さんのそのネックレスはたしか金ですね」
「そうです」
「それならですね、それが金だとどうしてわかるのです」
「二十四金と書いてあるからです。それにこれは信用のできるお店で、高い値段でかったから金だとわかるのです。そういうお店では、にせ金のものはにせ金として売っています。保坂さんがそれを安く売ったのですからその正体はしれています」
と佳川が自信ありげにいった。
「だとすると、保坂さんがこれに二十四金と刻印を押し、高い値段をつけたら、これは本物の金だということになるのですか」
「保坂さんはそんなことをされなかったので、それはそれだけのものでしょう。有毒な緑青のかたまりにすぎないですよ」
佳川には文物など見えないのだ、見えるのは緑青だけなのだ。佳川とは長い付合いなのに、やっとそのことに気がついて、私は口をつぐんだ。
それはともかく、にせものではないかもしれないのを、私はにせもの値段で手に入れたことだけはまちがいなかった。
いずれにせよ、今はその流金金神獣文温酒器が、というよりその緑青が、我が中国文化研究所で、中国古代を誇っている。が、私がその中国古代と顔をあわせるたびに、古代が早く金を証明しろと私に迫ってくる。
迫られたまま、もういたずらに一年以上もたっており、私は証明の糸口もつかめない。これが金だったらと、いや、金に違いないと自分に思いこませようとしているだけだった。
下記はこれに関しての続編
蛍光X線金属分析器 犬飼和雄
絵本を読むという会に出席すると、小さなイタリアンレストランの会場は当然のことながら女性ばかりだったが、その中に背広を着た学者ふうの中年の男が異物のように席を占めていた。こんな会にどうしてこんな男が出席しているのだろうと、私は好奇心をそそられながら、そのとなりに腰をおろした。といってもなにかを期待したわけではなかった。ただおかしな男がいるものだと思っただけだった。
それでも私はその男となに気なく言葉をかわしていると、男はおかしかった。おかしな自己紹介をはじめた。
「私は東工大で原子物理を教えている服部というものです」
「はあ」
と私はききちがえたのではないかと思わず男の顔に目をやったが、男はにこりともしないで妙に生真面目な顔をしていた。
私はよほど原子物理の先生がどうしてこんな会に出席しているのかとききたくなったが、そういえば私自身だって同じようなものだと気づいてそうはきかなかった。
「絵本がお好きなのですか」
と私はいった。
「いえ、別に好きではありません」
「そうでしょうね」
と私は納得したが、私はただ世の中には変な学者もいるものだと納得しただけのことだった。だから服部教授の次の自己紹介のつずきをきいても、同じように納得できた。
「私が今興味をもっているのは古九谷です」
「はあ」
と私は今度こそ納得した。おかしな学者がいるものだとである。私のような常識的な人間にできることといえば、納得することだけだった。
それでもきかずにはいられなかった。
「古九谷というのは、あの九谷でつくられたはなやかな色絵の磁器のことですか」
「そうですよ」
「あれを集めていられるのですか。高いものでしょう」
私にも古九谷が方外な値段のもので、私などが手をだせないものだというぐらいのことはわかっていた。この教授もにせものをつかまされているにちがいないと他人ごととは思えなかった。
服部教授があわてて私のことばを打ち消した。
「集めるなんて、とんでもないことです。一つだって買えません」
「だとすると興味をおもちだということは、なにに興味をおもちなのですか」
「うわぐすりにですよ」
「うわぐすりですか」
と私はあっけにとられたが、絵本を読む会に出席している原子物理の教授だ、おかしいことなんぞこれっぽっちもないなとまたまた納得したが、それでもうわぐすりの興味とはなんだと、黙っていられなかった。
「うわぐすりのなんに興味をおもちですか」
「その成分にですよ」
「うわぐすりの成分ですか。釉薬の成分ですか。その成分になにか問題でもあるのですか」
「その成分を分析しますとですね、その成分からその古九谷が本物かにせものかわかるのですよ。でも、ですから、古九谷をもっているところでは分析させてもらえないで困っているのです」
服部教授がふわっと私の土俵にあがってきた。私は思わず体をのりだした。
「釉薬成分の分析というのは、つまりは金属成分の分析ではないですか」
「そうですよ。その金属成分の比率から古九谷であるかどうかがわかるのです」
「ということはですね」
と私は意気ごんでいった。
「鉄とか銅とかの成分の比率までわかるのですか。どうしてそんなことがわかるのです」
「ケイコウエックス線を使えばできるのですよ」
と服部教授は私ははじめてきいた光線を口にした。私にはその光線がどんなものかわからなかったが、そんなことはどうでもよかった。
「するとですね」
と私はすでに流金金神獣文温酒器の金色の地はだにとりつかれていた。
「金や銀も分析できるのですか。その光を使ってです。例えば青銅器がどんな金属からなりたっているのか分析できるのですか」
「やったことはありませんが、その成分の分析はできると思います」
私はだめでもともとだと思いながら意気ごんでいった。
「実はですね、私は青銅器をもっているのですが、それがどんな金属からなりたっているのか知りたいと思っているのです。とりわけ、一つの青銅器、その地肌が金色のものがあるのです。もしそれが本物の金なら、その青銅器は本物だと考えているのです。
古九谷の釉薬の分析がだめでしたら、私の青銅器の金属の分析をしてもらえませんか。古いことにかけては、古九谷など青銅器の足もとにもおよびませんよ」
「そうですか、おもしろそうですね。携帯用の蛍光X線金属分析機を作れば分析できますよ」
「その機械はおもちではないのですか」
と私はちょっと失望した。
「今はありませんが、作って作れないことはないですよ」
「できたらお願いしたいのですが」
そこで絵本を読む会がはじまったので、蛍光X線金属分析機は文字どおり画餅にきしてしまった。会が終わっても服部教授と話す機会はなかった。ただ私は、私の電話番号だけは服部教授に伝えておいた、といって、こんな絵本の会の雑談にすぎないものを当にできるものではないとわかっていた。だが、話だけでも、私は十分に心をそそられて満足していた。
いうまでもなく、服部教授からはなんの連絡もなかった。三日目の夜になると、私の頭から蛍光X線金属分析機なるものは砂上の楼閣になっていた。夜の十時ともなれば、そうなっても当然のことだった。
その夜の十時半頃、電話のベルがなった。こんな時間にだれだろうと電話にでると、服部教授のはずむような声がきこえてきた。
「金属分析機ができましたからこれから行きます。一時間後になります」
「本当ですか、お待ちしています」
私の声も服部教授以上にはずんだ。
私はただちに獣文温酒器と、それからもう一つ、その銀がにせものであると確認したい小型の中国文物をテーブルの上におき、服部教授というより、その金属分析機をただひたすら待ちつづけた。
その小型の中国文物というのは、これもチャイナウォッチングで、温酒器より二年近く前に手に入れたもので、これも保坂さんは私ににせもの値段で売ってくれたものだった。
それは青花磁器の合子で、掌にのるくらいのものだったが、その本体も蓋も精巧な銀色の金属の竜や鶏で飾られていた。本体の底はその金属でおおわれ、そこに光緒と銀という文字が刻まれていた。清未のもので銀製だというのである。
保坂さんは、銀もにせものだし、青花合子もにせものだと頭からきめつけていたようで、だから私はやすく手に入れることができたのだ。ただ私はこれを手に入れたと時、この金属が銀でなかったら、この銀飾合子は文物として本物だと考えたのである。しかしそうは考えたが、金より銀の方がその真贋をたしかめるのははるかにむずかしかった。銀色の銀に似た金属が多いからである。
私が銀がにせものなら、この合子は本物の文物だと考えたのは、その一つは、銀という刻印であった。元来、現在でも銀に二十四銀とか十八銀とかいう刻印は押されていない。それをことさら銀と刻印されているのは、銀ではないからだと考えたのである。いうまでもなく、金を使用した中国文物には金という刻印など押されていないのである。
それだけではなく清の時代、銀は金と並び称せられたほど高価のものだった。ところがこの合子の内側の底にはポルノが描かれていた。その趣味がどことなく通俗的で、このようなものに本物の高価の銀など、清末のものに使われるはずがない、だから、にせもの銀なら清代のものといえる、つまり、本物文物だと考えたのである。しかしそれがどうしたらにせもの銀と証明できるのか、私にとっては本物銀以上にむずかしい問題で、今日まで手づかずのままだったのである。ある意味では、本物金以上に興味をかりたてられていたのである。それに服部教授の金属分析機が、これをにせもの銀と分析したら、その分析機を信用できると考えたのである。私にはその分析機の原理が全くわかっていなかったからである。
分析機が我が研究所に到来したのは、十一時をだいぶまわってからだった。
「ようやくこの蛍光X線分析機ができあがったのです。これを金属に照射すれば、それがどんな金属だとか、どんな金属の合金だとかいうことがわかります」
と服部教授はいい、その分析機をテーブルの上に組みたてた。
私は銀飾合子の底の銀の刻印を分析機にむけると、服部教授がスイッチを押し分析機が光を発射した。もちろんそんな光が見えたわけではなかったが、発射するとすぐに、分析機に接続されたパソコンの画面に波状があらわれ、その中の二カ所が高くもりあがっていった。
「千秒あまりするとッ成分がはっきりします」
と教授が画面をにらみながらいった。千秒とは何分かと計算していると、もりあがった波がさらに高くなった。
十分あまりすると、教授が二つの波を指さしながらいった。
「この波が鉛で、次のが錫です」
「銀は」
と私はきいた。
「全く認められませんね」
「そうでしたか」
と私は私なりに納得し、あとは口中でつぶやいた。やはりこれはにせもの銀だった。したがって、この銀飾合子は合金合子で、本物文物だったのだと。同時に、服部教授のこの金属分析機は信用できるぞと。
「銀は全く使われていないのですね」
と私は念を押した。
「そうともいえないでしょう。文字としては使われているからです。でも、私の分析機は文字の分析はできません」
と服部教授はにこりともしないで皮肉った。
ともかく、私はその機械さえ本物だとたしかめられれば満足だったので、すぐに本番にとりかかった。
「これを、この金色の地肌の部分の金属をたしかめてください」
と緑青温酒器を分析器のまえにおいた。
ふたたび波形文様がパソコンの画面に姿をあらわしたが、そのもりあがって高い波は、その位場が銀飾合子のとはだいぶちがっていた。
「ここは銀ですが、その右のは、これは明らかに金です」
と教授が当たり前のようにいった。
「まちがいありませんか」
と私は息をのんだ。
「まちがいありません。しかも金がふんだんに使われています」
「そうですか」
と私はいいながら、我が中国文化研究所にしばらくは酔いしれていたが、すぐに、次に私のすることはなにかと気がついた。しかし教授とちがって、さすがにこんな時間にでかけていくわけにはいかなかった。
その日、というのは分析が終わったのはもう十二時をまわっていたので、はやる心をおさえて、常識的に、昼食をとってからチャイナウォッチング店にでかけていった。
店についたのは一時ちょっと前だった。
保坂さんは例によって、テーブルのまえにすわってタバコをのどかにくゆらせていた。
私は保坂さんの前に立ったままいった。
「あの緑青の金色のものは、本物の金でしたよ」
声が思わずはずんでいた。
「緑青の金色のものとはなんのことです」と保坂さんから思いもかけない返事がもどってきた。
「ほら、一年ほど前に緑青だらけの円筒の器を買ったでしょう。あれですよ。あの時、緑青の間の金色の部分が金ではないか、金だったら、あの円筒は本物文物だと私がいったものですよ」
「はあ、そんなものがありましたかね」
と保坂さんはとぼけたようにいった。
「私が八千円で買ったものですよ。それが本物の金だったのです」
「そういえばそんなものがあった気がしますが、今さら金だ銀だといわれましてもね、もうこの店のものではないのですから」
と保坂さんはただタバコをくゆらせていた。私はだましたように八千円で買ったうしろめたさが煙のように消えてほっとしたが、それでも黙っていられなかった。
「あのようなものがあるこのチャイナウォッチング店は、日本に二つとない店ですよ。すばらしい店です。こここそ、ウォッチング・チャイナ店です」
「は、あ」
それが保坂さんの返事だった。
その保坂さんのまわりには、当然のことながらいまだににせもの中国文物があふれていた。