拓本「欧陽詢・虞世南・チョ遂良」・寒山寺・楓橋夜泊

中国で石碑が現れるのは後漢からで、その起源は廟門または墓柱ではないかといわれています。石碑全体は板状の石で、上部は尖っていたり、丸かったり、龍頭などが彫刻され、下部は石碑台があり、方形のものを方趺(ほうふ)、亀のものを亀趺(きふ)とよぶそうです。 石刻の文字を墨で紙に拓取することは唐より前から行われていたが、多くの人々が拓本によって石碑の書を鑑賞するようになるのは、おそらく宋代以降からであり、しかしそれは多くの場合、石碑の原型のままの拓本によるのでなく、行ごとに切って本の形にまとめた剪装拓(せんそうたく)によった。 当店の拓本でもわかるように石碑が現存する場合でも、長い年月の風雨や彩拓によって碑面がひび割れたりして、その書を鑑賞する場合には古い拓本ほど珍重される。 宋濂(そうれん・1310〜1381)ですら「九成宮醴泉銘」の良い拓本が得がたいことを嘆いており、人気のほどが伺える。 これらの拓本は剪装拓によって復元された碑文の全体です。




楷書の極則・・・・欧陽詢(おおようじゅん)

品名: 九成宮醴泉銘「きゅうせいきゅうれいせんめい」
品番: TUO-5
サイズ: 182cmx83cm
価格: ¥3.990「税込」

※九成宮は、唐の太宗の離宮(別荘)である。西安の近くの山中にあり、夏の避暑地であった。太宗が滞在した折にすばらしい泉を見つけ、「その清きこと鏡の如し、味の甘きこと醴(あまざけ)の如し」であったことを記念して碑を建てることを命じた。

文字を書いた欧陽詢(557〜641)は王義之の伝統を受け継いて、書名の高かった書家で、当時76歳。この九成宮醴泉銘は彼の現存する他の楷書の碑に比べて字粒が大きく、字間・行間もゆったり取られていて、欧陽詢の最高傑作、「楷書の極則」とされている。

 

写真をクリックすると拡大



品名:孔子廟堂之碑(こうしびょうどうひ)  虞世南(ぐせいなん)
品番:TUO-3
サイズ: 165cmx86cm
価格:¥2.980 「税込」

※楷書が芸術的に完成されるのは初唐の頃で、上記の欧陽詢のほかにもこの孔子廟堂之碑を書いた虞世南、次のチョ遂良(ちょすいりょう)などがいる。この碑は孔子を祭る廟の再建記念碑として建てられたが、唐代末期に失われ、宋代になって山東と陝西で重刻碑が建てられた。が又もや文革時代「批林批孔運動」にごらんのように割られた、残念ではあるが逆に考えると彼らにとって歴史の証人かもしれない。

写真をクリックすると拡大




品名:雁塔聖教序(がんとうしょうぎょうじょ)   チョ遂良(ちょすいりょう)
品番:TUO-04
サイズ: 148cmx86cm
価格:¥3.990 「税込」

※盛唐の頃から筆の機能を重視した、線の太いふくよかな書が多くなり、石碑の書体も楷書ばかりでなく行書や隷書が現れる。その先駆けとなったのは、このチョ遂良が晩年に書いた「雁塔聖教序」で、線こそ細いが、一般の初唐の碑より筆先を自在、華麗に動かして書かれている。
 この碑は西安の慈恩寺の大雁塔の下の壁面にはめ込まれていて、玄奘三蔵法師がインドよりもたらした事跡が書かれている。 

写真をクリックすると拡大


品名:後・出師の表碑(しゅっしのひょうひ)  諸葛孔明:文
品番:SAN-13                  岳飛 :書
サイズ: 114cmx40cm「4枚で一組」
価格:¥9.500 「税込」

※成都武侯祠・劉備殿の入り口が二門です。二門を入ると、その回廊にはまた有名な石に刻まれた「前出師表」「後出師表」(諸葛孔明が劉備の死後、魏との戦いの出陣に当たり、若年の蜀の皇帝、劉禅に奉った上書)が飾られています。書跡は南宋時代の抗金名将=岳飛です。岳飛(がくひ)といえば宋の頃の名将であり名書道家でもありました。今もなお彼の書がお手本とされています。岳飛は生前、武侯祠(孔明と劉備の墓)に参った時に諸葛孔明の「出師の表」をその場で自らの手で書きとりました。 今もなお彼の書がお手本とされています。




品名:寒山寺・楓橋夜泊(かんざんじ・ふうきょうやはく)
品番:TUO-2
サイズ: 132cmx68cm
価格:¥1980 「税込」

唐代の詩人・張継が旅情豊かに詠い上げた七言絶句の“楓橋夜泊”です。

写真をクリックすると拡大